伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎の妻宇都木節子の物語です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け、入ってくる知識よりも消えて行く記憶が勝っても尚、その意欲は変わらない。

「カタクリ」を訪ねて

「カタクリ」を訪ねて 〜その不思議な出会い〜

宇都木節子

今から40年余り前のことです。そのころ夫はやっと車を持つことができて、今まで以上に万葉集の植物の調査を精力的に始め出しました。その中でも「カタクリ」に寄せる思いは特別でした。

そんな折、当時30歳代のこの土地生まれの友人から「子供のころは今の城北公園にはカタクリが群生していたのよ」という話を聞き、それならば練馬の奥の方には今でも何処かに有るかもしれないと希望を持ち始めました。すると 「若い頃結核療養所に居た時、よく散歩した切り通し道の傍にいっぱい咲いていた。」と言う人がいて、詳しく聞きたいと思いましたが、30年も前のことなので今はその病院も閉鎖になりどうなっているか分からないと、何とも心もとないものでした。

しかし一時も早く自生しているカタクリを見たい彼は、私を誘って早春の朝早く、おむすび・水筒を積み込んで、地図を頼りに療養所があった清瀬を目指しました。やっと廃屋になった建物にたどり着き、車から降りて辺りを見渡したところ、話を聞いてイメージしていた様な場所ではなく、訪ねる人も見当りません。心細い気持ちになりながらあたりを必死に捜し歩きました。しかし日暮近くなっても見つからないので仕方なく帰途に着きましたが、あきらめきれない思いで車中からもカタクリの生えていそうな林はないかと、何の当てもないのに一生懸命に外を見ていました。

写真がある場合

見るのも疲れてぼんやりと流れる車窓に目をやっていた時、なにか感じる雑木林が左手に見えたので急いで夫に車を止めてもらい、少し高くなっている林に駆け上がりました。彼も急いで側に来たので「なんかカタクリがありそう。」と言うと不思議そうにしながらも彼は右手の方に行き、私は左に走って行くと、その先に日がさして明るい登り斜面が見えて来ました。なぜか「此処だ!」と思って進んでいくと、すこし下った所に小川が流れており、手前の斜面には草が生えています。胸をどきどきさせながら近づいて見るとはたしてありました。

薄紫のふっくらした可憐な花を下向けて咲く、カタクリの花の群生です。それは息をのむほどの美しさでした。

歓喜の大声で夫を呼びました。駆け付けてそれを見た彼の顔は喜びと感激で何とも言えない表情になり屈んでそっと花にさわりました。暫くして興奮が治まり、何とも不思議な出会いに顔を見合わせると、「あんたは巫女のような能力があるのかな。」と日頃は唯物倫者の彼が、感に堪えないように呟きました。私は彼が望んでやまなかったカタクリをとうとう見せることが出来て、霊力?と錯覚しそうな偶然に感謝しつつ幸せな満足感を味わったことです。