伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話、絶滅についてのお話です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け、入ってくる知識よりも消えて行く記憶が勝っても尚、その意欲は変わらない。

絶滅について

絶滅について

1.百合を植える

私は毎年、ブラシターや植木鉢に、鉄砲ゆりを植えて、花が咲くのを楽しみにし ている。真っ白な清純さを保って形もよく、高貴な匂いを漂わせる鉄砲ゆりは、花 の中で一番好きだ。

しかし百合は球根の扱いが難しく、大抵は二年くらいはもつとしても、三年 目ごろになると球根が小さくなったり、姿を消してしまうことがある。

最近は古い土を使うといけないことが分ってきて、なるべく新しい赤玉土を使う ようにしているのたが、それには費用がかかり、肥料や腐葉土も入れるので、どうしても土が汚れてしまう。こくに日本の昔からの伝統的な「笹ゆり」や「乙女ゆり」 (ひめさゆり)は、残念ながら東京の庭では花を咲がすことが難しい。

2.「食用ゆり」の栽培

食用ゆり、鬼百合

昨年のNHKテレビで、「食用ゆり」の栽培をやっている北海道の農家のことを写していた。食用ゆりの原料となるのは「こおにゆり」(「鬼ゆり」と同じく赤い花びらが反り返り、斑点がある)であるが、その球根は渋みがなく、昔から伝統的な日本の正月の食品として重要視されている。しかし栽培は難しく、広い畑を六ケ所に分けてそれを次々に使う。つまり六年に一回ずつ輪作をずるのだが、それは土からウイルスが伝染するのを恐れるからである。また域根を大きくするために、花が咲く前に蕾をすべて落としてしまう。それには新しい手袋を使い、しかも次々と取り替えてゆかねばならない。それほど人の手からウイルスがつくのを警戒するのである。

そのようにしてはじめて白く綺麗な「食用ゆり」の球根が食卓に届けられる。 私はこんなテレビを見て、たいへん驚いてしまった。

3.野生の「こおにゆり」

「鬼ゆり」は平野部に生えるが、野生の「こおにゆり」は内地では今、高い山に行かないと見られない。標高1000メートルほどの高地の、それは思いがけない所に、細くて弱々しい茎が伸び、その先に小さな花が一つだけつく。しかもそれは毎年期待することはできない。五、六年に一回か、それ以上の間隔で出るか出ないかなのである。花を咲がせるには、球根にそれ相当の栄養を蓄えて地上に出してやらないといけないのだろう。人がこれを喜んで掘りあげ、肥料など与えても、たいていは多分死なせてしまうことになるだろう。

私はこのことを「食用ゆり」の栽培と思い合わせて、ふと感じることがあった。

以前、古代染色植物の「ムラサキ」を栽培したことがあった。この植物はやはりたいへん弱くて、地下の塊根は大きく育つのだが、そのうち消えて無くなってしまう。人の手が加わると、ウイルスに感染して病気にかかり、消滅してしまうのである。

私はこのことがよく理解できず、貴重な植物を駄目にしてしまった。 「こおにゆり」もこの「むらさき」も同じく、か弱い絶滅危慎植物だったのである。

4.いくつかの人類

類人猿、人類の進化

人類の発展の歴史については、なかなか理解できないことが多い。人類はいま全世界に栄えているが、もともと弱い動物である。人類といっても多様な違いがあったろう。それは白人、黒人、黄色人等の違いをいうのではない。もと人類がアフリカに発生したその時には、皆一様に黒い皮膚をしていたが、そのうち移動して落ち着いた所の地理的気候条件によって、皮膚の色や骨格が少しづつ変わってきたというのである。アフリカに発した人類は、現世人類(クロマニョン人)だけではなく、なかにはいくつかの違いを持った者がいたであろう。チンパンジーやオランウータンなど類人猿にもいろいろ種類があるように、人類にもいくつか違う種類があったとしてもおかしくない。だが、現在われわれ人類のほかは皆滅んでしまったらしいというのである。

ネアンデルタール人もその一つで、つい最近(20万年前)まで生きていたといわれている。クロマニョン人に比べると、喉の骨が違っていて、発声の機能が劣り、それが滅亡の原因となったのではないかといいわれている。

これは驚くべきことである。人類は弱い生物である猿から出発した。恐ろしい食肉獣に襲われないように高い森林の上に住んでいた猿が、地球の気象条件の変化によって森を出、地上のサバンナ(疎林地帯)に住むことを余儀なくされた。同じような運命は、他の類人猿にも起こったに違いない。その中で類人猿からさらに人類への出発の第一歩を果たしたのは、直立二足歩行と道具の使用を勝ちとった者たち(原人)である。そのような原人たちがいく種類も居たのである。その多くは絶滅し、生き残ったのは我々現世人類だけであった。

5.絶滅のおそれ…ウイルス

人類にとって絶滅の危機とは、他の動物に襲われたり、地球の不安定な気候に出 会うことばかりではなかったようである。

コロンブスなどのヨーロッパ人がアメリカ新大陸に進出していった時、もとから居た先住民の多くは滅亡の危機に瀕したものが多かったそうである。それはヨーロッパ人の攻撃を受けたばかりではなく、今まで無垢のまま知られていなかった伝染病菌が持ち込まれて、簡単に死んでいったためであるといわれている。

宇宙戦争

最近上映されたスピルパークの「宇宙戦争」という映画にもそのことは反映されている。宇宙からやってきた異星人が地球人の血液を吸い、地球は見るも無残な光景にさらされるが、そのうち異星人はばたばたと倒れていく。それは地球に充満していたウイルスに犯されたためである、と映画は語っている。

地球に住む生物の中で一番強いのは、このようなウイルスではないだろうか。地球は過去の歴史の中で、全球火の球となって燃え盛ったり、反対に冷凍化して凍りついたりした時があったといわれているが、それに耐えて生き抜いたのは、海中深く潜んでいたこの小さな生物であったといわれている。

熱帯のある地方には、今も恐ろしいウイルスが潜んでいるそうである。残念な思いがするのだが、私たちはこうしてウイルスと戦い、共存していかねばならない。鳥インフルエンザの例にも分かるように、油断するとこれらのウイルスによって、人類は絶滅してしまうかも知れないのである。

6.絶滅のおそれ…地球環境の変化

ウイルス以上に恐ろしいのは、地球環境の変化である。過去の地球の歴史を調べてみると、それは今のように安定したものではなかったようである。古生代や爬虫類の栄えた中生代でも大変な変動があり、また哺乳類の一つとして発生した人類が誕生したという新生代でも、大変に厳しい氷河期に襲われたようである。それらの時期を人類は他の生物と共に勇敢に乗り切ってきた。これは尊敬すべき事実であるにしても、けっして安全な道程ではなく、それらの過程に、多く植物や哺乳類が滅んでいったことは間違いない。

たとえばマンモス象は寒い気候に対応して、長い毛に覆われていたが、食用としていたある苔類が地球上の気候変化によって姿を消して(現在のシベリヤ針葉樹林帯に変わって)しまったために、絶滅せざるを得なかったという。そしてそれと共にそのマンモスを狩りしてきた人類もまた、同じ運命をたどることはなかったであろうか。

今年(2006年)の1月11日に報道された、北極の環境が急激に変わり始めたという新聞の記事を、人々はどう読んだであろうか。

シベリアのヤクーツクでは、100年間に平均気温が2.5度も上がった。永久凍土が溶け、二酸化炭素CO2を吸収する森林が毎年800ヘクタールも消えているという。そしてこれらの現象は、石油を消費してCO2を排出することによる温室効果ガスなど人間活動の結果による温暖化なのか、それとも自然現象における変動の結果なのかはっきりしないという。

今年日本列島を襲つた寒波は異常であるが、全体とすれば気温は確実に大幅な上昇を続けている。このまま気温が上がれば、南極や北極の氷は溶けて、地域各地の海岸線は間違いなく上昇する。もうすでにその変化は表れている。

かつて三内丸山の縄文文化は一千年近く続いたが、それを滅亡させたのは、地球の寒冷化現象であった。これからはそれと逆の結果を味わうことになるのだ。

過去二億年前に栄えた恐竜たちは、一部鳥類に身を変えて他は全滅した。滅亡の原因はいろいろ言われているが、結局は地域を襲つた気候の激変によるものと推定されている。哺乳類の頂点に立つ人類は、その後大発展を遂げて繁栄したが、忍び寄る地球温暖化の危険にも旨く対応しているとはいえない。アメリカや中国のような大国でさえも、京都議定書を批准でさないままでいる。しかも地球温暖化はどこまで進むのか見当もつかない。我々人類はこのような地球環境の変化にうまく対応していけるのだろうか。

人類はまた恐竜たちが生きた期間ほども長く、生きてはいないのである。

2006/2/20