伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話、今回は「正月はなぜおめでたいのか?」です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け・・・2014年4月10日没

正月はなぜ おめでたい のか?

正月はなぜおめでたいのか?

正月になると、私たち日本人は「おめでとう」という祝辞を言い交わす習慣を持っている。これは何故であろうか?…私はもの心ついて以来、ずっとこのことを疑問に思ってきた。正月は何か他の月よりも格別おめでたいことがあるのか?…私は何かそれが理解できぬままに毎年正月を過してきた。ときにはこの祝辞を言わず、曖昧に濁してみたこともある。しかし根本のことは分からないから、依然として分からないままに過した。今になって、このことはようやく解くことができる。

解決の糸口は「お供え餅」と「松飾り」にある。お供え餅はだれに供えるのだろうか?

それはいうまでもなく正月の信仰による。お供え餅はある尊貴なもの、正月になると必ずやってくると信じられた「正月様ー年神様」に供えるのである。昔の人は多くこの年神様を神棚に迎え、鏡餅を供えて礼拝した。いま神棚は普通の家には見られなくなったが、神棚がなくなってもこの気持ちは意識されずに続いている。「松飾り」には変わらぬ緑の葉に祝いをこめる。松飾りは単なる正月の飾りではない。昔の農家は田に立てて祝う場合もあった。田がなくて松が立てられない場合は床の間、それもない家は玄関の柱か入り口のドアに立てる。「おめでとう」というのは、意識されていなくとも松の緑に変わらぬ生命の宿りを認める気持を述べるのである。「芽が出る」ことをこめて、同時にそれを「賞でる」気持が現れる。芽が出ると期待するのは何か?それは農業にとって大切な芽…稲を中心とする農作物の芽であることは言うまでもない。

人は昔から支配する者と支配される側の世に別れてきた。私たちの多くは農民…支配される側の子孫に属する。しかし支配する側も等しく農業の発展には期待する。農業に携わる者が最も気にかけ、祈るのは稲の穂を中心とする農作物が順調に育って、よい実がみのることである。年神様に祈るというのは、元気で溌剌とした芽が出ることを期待するのである。「おめでとう」とは、健康なよい芽が出ることを期待し、それを祝い褒めるということである。

年神様は毎年正月になると訪れる…これは日本人の信仰によるもので、私たちはこれを民俗学の研究に負うている。こうした農業上の信仰が私たちの心をとらえ、日本の社会を動かしてきた。農業国として発展してきた日本人の心はずっとこのまま「おめでとう」を正月の言葉として変えずに行くだろうが、農業にだけ頼る心が変らぬとは限らない。T・P・Pという日本の産業発展上の大きな問題は、これから日本人が新しく経験する社会の変革に属する。いつまでも農業中心の国のままではいられない。私たちは日本国土の産業上の発展のために、その芽を育てる新しい努力をしていかなければならない。

2012/1/9