伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話、今回は「時代劇映画 さや侍 感想」です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け・・・2014年4月10日没

時代劇映画 さや侍 感想

時代劇映画 さや侍 感想

新しい時代映画がかかっているので早速見にいった(6/15)。しかし表面的に面白いだけで、内容的な価値はなかったのではないかと思えた。江戸時代に設定はしているが、律義で礼儀正しい侍の世界を滑稽に写してみせただけのようみえる。

母を亡くした小国の大名の若君( 8歳くらい)が悲しみのあまり床に伏せっている(丸々とした顔はそのようにはみえない)。父の殿様は若殿の悲しみを宥めようと浪人狩りをし、騒動があって大刀を無くし(小刀は見えない)鞘だけを大切に持っている惨めたらしい浪人を捕らえ、蔵の牢屋に押しこめてしまう。30日間工夫をして、若殿に何か滑稽で面白いことを見せた場合は許すが、若殿が表情を崩さぬ時は殿様は金平糖一個を食って不合格を示す。お側にいる家来(家老らしい)は不合格だから残された日のうちに成功できない場合は、「切腹を申しつける」のである。家来は殿様の意向を伝えるだけで、人間としてあるべき(武士道の)倫理観は何も見られない。若殿を笑わせられぬ浪人はもちろん惨めなだけで何も言えない。浪人は10歳くらいの娘を伴っていて、これが(侍ならば刀を持って戦え)と、何回も父に向かって意見を繰り返すのである。しかしその父は何も応えられない。二人いる牢番(若い方は常に口を開けていてだらしがない)も何とか新しい工夫を浪人と娘にやらせてみようと試みるが、常に失敗の連続である。腹に顔を書いて踊らせたり、首を切られた様子を見せたり、大砲の筒の中に入れて打ち出して見せたり、しまいには大きな風車を口で吹いてみせたり(偶然に突風が吹いて風車が回り、家来たちも見物に来ていた民衆も皆感動する)しても、若殿はいっこうに堅くした表情を崩さない。

江戸時代 270年を通して、こんな馬鹿なことはなかったのではないかと思うが、結局浪人は切腹をする羽目になる。切腹の場面は…反発の感情を表しているのだろうか…壮絶で非常に元気がよい様子を見せるのがどうにも全体とあわない。

切腹の後、立派すぎてやはり浪人への扱いと合わないのではないかと思う自然石の墓碑が建てられ、そのまわりを巡って、娘と若殿が遊んでいる。(これもおかしい。身分の低い娘は若殿と遊ぶことなどできないだろう)若殿は遅まきながら嬉々として笑い、娘は元気を取り戻す。娘は旅に出る前、一人の僧に出会い、(娘は一人で旅には出られないはず)何かを伝えられる。僧はもっともらしいことを言うようだが、この映画のなかで人間の世にもっともらしいことが言える状態なのだろうか。

プロデューサーは松本人志という有名なお笑いの筆頭芸人である。この人は何とかいっているだろうか。それほど論ずべきこともないようだが、この時代の馬鹿らしさを取り出しているのかともみえる。登場人物の中で娘だけが正しく、父に向かって(貴方は侍なのか、侍ならば刀をとって戦うべきだ)と主張している。それは武士としてあるべき正論なのであろうが、この時代父に向ってそんなことが言える女の立場があったとは思えない。どんなことがあっても父に従うのがこの時代の孝養であるはずだ。その点、この映画はすべてを超越してめちゃくちゃな感じだけがある。何か大切なことを言っているようで何も中身がない。口をあけてうすぼんやりと眺めている牢番の姿だけが何かを象徴しているようにみえる。

刀は武士の命の象徴だから、それを失って鞘だけを大事に持っているだけの侍は侍と言えないだろう。浪人が持っていた刀で(はっきりしないが)浪人の妻が切られたらしい。刀を失った侍は侍ではないと娘はいっているようだ。

しかし幕末すでに刀だけでは、国を立派に守ることができぬことが自覚されるようになっている。刀は侍の精神的なものに変っている。また惨めな浪人はよい刀を持つことができたとも思えない。

現代は本格的な時代劇というものは見られないようになってしまった。時代考証というものも追い詰めていくと難しいが、藤沢周平の時代劇の広告(小川の辺り)が新聞やテレビに出ている。期待できるのだろうか。

2011/6/22