伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話、今回は「NHKドラマ お江」です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛け・・・2014年4月10日没

NHK大河ドラマ お江

見たくもない、NHK大河ドラマ お江

NHKは会長が変ったばかりなのに、(それと関係はないだろうが?)よくもこんな薄っぺら(と私は思う)なドラマを(金とひまをかけて)作ったものだとあきれている。 主人公を女性にすると、よくそのような欠陥が出てくるものだ。女主人公を全面に押し出すつもりで、平気で現代人そのままにしてしまっている。当時の時代社会は現代とは全く違うだろう。戦国時代、今から四百年以上も前の昔に生まれた若い娘が、信長と対等に口を聞き、心には思っても、対等に政治問題で渡り合うことなどあり得ない。信じられないことばかり出てきて、画面を見ていると、そんな筈はない、嘘ばっかりという気がして、気持悪くなるくらいに見ていられないのである。

もちろん私は史実通りにせよと言うつもりはない。ドラマが作りものであることは百も承知である。史実通りになどといっても到底できるものではない。しかし少なくとも余りにもかけ離れて下手な有様で演じられるのを見せつけられると、安心して黙って見てはいられないのである。

史実通りでなくとも、観客に気持よく見させるやり方はいくらでもあろう。しかし 「水戸黄門」や「大岡越前」のような勧善懲悪のドラマであれば、初めからそんなつもりで見る(実際は私は見ることはない)から、子供のような文句は言わない、しかし 「お江」が水戸黄門などと同じドラマの仲間入りするとは夢にも思わなかったから、がっかりしてしまうのである。その点、今までの大河ドラマはうまくできている。「坂の上の雲」の原作がほとんど作者の創作によるものである、などということはよく知られていることだが。司馬遼太郎はそんな問題を優れた筆力で克服しているのである。

これもよく知られていることだが、この問題については、森鴎外が早くから考えを述べている。いわゆる「歴史離れと歴史そのまま」である。時代小説を扱う場合、どうしてもその問題が出てくる。もちろん歴史通りにはできない。今さら歴史通りに書けといったら何も身動きできなくなってしまうから、それでは時代小説は書けない。しかし水戸黄門が隠居してから領地の外に出るなど殆どなかった、大岡越前の名奉行ぶりは講談師の作り話に過ぎない。裁きは与力にやらせて、奉行が直接全面的に白洲の場に出ることはしなかった。そのようなことは常識であろう。だから作家はどこまで書くか迷う。NHKのプロデューサーは何も彼も知っていてこのような娯楽番組を作り、観客に迎合している。娯楽番組としての「お江」は完全な失敗作である。大衆迎合策にのって下手な見せ方をしている。私はもう見る気がしない。NHKはこのまま突っ走るつもりだろうか。私は心配はするがどうにもならない。