出雲神話の謎。伊勢物語を読むの著者宇都木敏郎が綴る徒然話です。世の中は驚きに満ち、日常の全てに興味がそそられます。人生を勉強と追求に掛ける。2014年4月10日没

出雲神話の謎

出雲神話の謎

日本古代の神話の中で、出雲神話ほど不思議な謎に満ちているものはない。出雲神話は日本神話のほぼ三分の一を占めており、物語的である。青年時代の大国主の修行、因幡の白兎,越(北陸)のヌナカワヒメへの求婚説話など変化に満ちている。スサノオの八俣の大蛇退治の話も勇壮的である。スサノオはアマテラス神の弟になっているが、もともと出雲地方に伝えられた別の神話で、出雲族の祖として活躍した英雄ではなかったかと思われる。

その出雲族も、大和の連合政権には屈してしまった。長野の諏訪大社も同じく大和の政権に敗退した種族であったろう。これらはいずれも早くから、すでに日本に入りこんで政権を建てていた先住民種族ではなかったろうか。

出雲にはニニギノミコトのように高天原から降臨したという神話や、多くの神の誕生説話など空想的なものはなく、偉大な神格へ成長進化していく現実的な説話が大部分であり、敗戦滅亡の説話は見あたらない。これはおそらく天孫族の記紀神話が編集された時、藤原氏によって抹殺されたり削除されたりしたことが多かったのではないかと思うが、そのため出雲神話は架空の物語が伝えられたかと疑われた。しかし最近松江市の西の荒神谷、加茂岩倉から考古学上重要な遺跡が發見され、注目を浴びた。ここから大量の銅剣、銅矛、銅鐸が出土したのである。銅鐸は神を呼び出すための樂器であって、もとは農業用のものだったろう。鉄は早くから入っていたから、銅剣、銅矛は実戦の武器にはならない。しかしキラキラ光るので、そこに宗教的な霊力が感じとられたのだろう。神武天皇の金鵄伝説(長脛彦と対戦した時、金の鳶が天皇の矢筈に止って、敵の目をくらましたという)はこれが元になったと思われる。これら祭器の大量出土は何を意味するか、いろいろ考えられるが、敗戦後に捨てられたと考えられる。出雲と大和との戦いは神話には伝えられていないが、諏訪は神話によれば、タケミナカタが天孫族のタケミカズチの神と戦って敗れ、諏訪に逃げこんだとされている。しかしタケミナカタは始めから諏訪に進出していた、出雲とは別の先住種族ではなかったろうか。

大国主は戦後処理の交渉の時に顔を出し、国譲りの条件として自分の住居を建てるよう要求した。この建築はとてつもない壮大なものであったらしい。現在の神社は江戸時代の建築だが、それまでに六回も再建されており、最初の建築は伝承によると高さ97mもあったという。最近の發掘調査によれば、本殿の中心柱は直径135cmで、これを三本合わせて直径3mとした。このことからすれば、昔の伝承は決して嘘ではなかったことが解る。

大国主は国譲りの交渉については、子のコトシロヌシに任せたらしい。コトシロヌシは敗退を認め、呪いの動作をして海中に入り、自殺してしまった。本居宣長は、これは相手を呪い殺す動作で、頭の後ろで拍手したのであると言っている。

出雲族の神は大和の政権に大きな影響を与えたようである.祟神天皇の時,疫病が流行した。また次の垂仁天皇の長子は口がきけなかった。これらはすべて奈良桜井市にある三輪の神の祟りによるものと判断された。三輪の神は大物主の神であり、箸墓のすぐ近くにあり、日本人の神信仰の出発点である「岩くら」を具えた神体山である。箸墓は巨大な弥生後期(三世紀)の前方後円墳で、卑弥呼の墓ともいわれ、これ以後の大和の大王の大古墳時代を導く遺跡(つい最近立ち入り調査があった)である。卑弥呼は倭国の大乱を収めた偉大な女王であると魏志倭人伝に記されているが、その箸墓の近くにまで出雲族に信仰された大物主の神がいたのである。「物」は精霊のことで「大物」は偉大なる神の意味である。出雲の民族は、はるか南の大和地方にまで大きく信仰の手を伸ばし、支配していたのであろうか。

倭人伝に記された大乱とは出雲との戦乱を指しているのであろうか。三輪神の祟りが出雲神の怒りと関連していたというのは、古代史上見逃せない。

驚くべきことに出雲大社の神殿の神座は参拝者の方を向いていない。西の方の海を向いている。この神ははるか西の方から海を渡ってきたのだろうか。        諏訪の神もやはり海を渡ってきた疑いがある。本宮,前宮、春宮、秋宮の四の宮社すべてが諏訪湖の傍に建っている。春、秋社の神が移転する神座祭の際には柴舟が使われているし、また諏訪の北方にある同系統の穂高神社の境内には,大船が展示されている。この大船とは渡航用のものだったのであろうか。諏訪神社の周囲に建つ四本の御柱は山から切り出してくるが、運ぶ時にわざと川を渡らしているのもわけがあろう。前宮は四方の柱の代りに、実際の樹木が植えられているが、これが諏訪神の本当の以前の姿を表わしているのではないだろうか。これら出雲、諏訪の神社の特殊な形態は、海を渡ってやってきた外来神(朝鮮系か)を信仰する古代人、或は渡来人の最初の姿であったろう。出雲族の祖と思われるスサノオが朝鮮からやってきたという伝説があるのも参考になる。

魏志倭人伝には、「倭国大乱」という記述があるが、これはかつて出雲と大和との間に、大きな戦争があったことを想像させる。諏訪との戦争は事実であるが、出雲との戦争の記述は省略されている。しかし出雲は日本古代史上重要な一部であり、その解明は見逃せない。

2013/3/13